
2009年の本。めっちゃ面白かった。
しっかり読めていないと思うので、何回か読み返したい。
- 個人のリスクヘッジとは?
- “決定の成否に関わらずその結果責任をシェアできる相互扶助的集団をどのように構築することができるか?”(P121)
- 所属している共同体での助け合い
- 働けなくなったら家族の家に転がり込めること
- 幸福の資本論で言う社会資本
- 働けなくなったら家族の家に転がり込めること
- 現代は個人がリスクヘッジできなくなった
- 自己責任・核家族・自立
- 家族間のつながりがなくなった
- 教育を権利ではなく義務と履き違える子供たち
- 社会が経済合理的になり、子供が経済合理的になった
- 社会:コスト(お金)を払えばすぐ対価をもらえる(時間差がない)
- 教育・勉強・労働:コスト(苦痛・忍耐)を払っても、対価がすぐもらえない
- 幼児期に、社会のルール(お金を払えばすぐもらえる)を覚えた子供が増えた
- 「私は苦痛というコストを払うが、それによって覚えられるひらがなは、何の役に立つのか?」
- 社会が経済合理的になり、子供が経済合理的になった
- “教育の逆説は、教育から受益する人間は、自分がどのような利益を得ているのかを、教育がある程度進行するまで、場合によっては教育課程が終了するまで、言うことができない”(P55)
確かになあ。
消費、つまりお買い物は、「コスト(お金)を払えば、リターン(商品)が得られる」のが当たり前。払った対価が確実に、時間差なしで手に入る世界。
この世界に慣れた状態で子供は学校に入ってくるし、そのまま社会に出ていく。
一方で、現実の社会では、教育・勉強、仕事も、副業で何かを始めるのもそうだし、恋愛もそうだけれど、いずれも、「コスト(労力やお金、感情的な傷つきなど)は確実に払うが、リターンを得られるかどうかはわからないし、得られるリターンがどんなリターンかもわからない」という、不確実な世界もある。
時間差なしの100%確実な消費社会と、こういった不確実な取引と比べた場合、「コストの払い損になるかも」「コスパの良くないお買い物になりそう」と躊躇してしまうのかも。
コストをむしろリターンだと思えるような、例えば「勉強や仕事の中から楽しいと思えるような要素を見つける能力」などがあれば、リターンをもらい、さらに不確実なリターンをもらえるムーヴができるのかなーと思った。
本田清六が言う、「金は職業道楽のカス」思想。楽しく働き、労働の楽しさというリターンを得て、その結果お金という副産物がついてくる。
コメント